【由 緒】
妻木 八幡神社の創建は、一説に元応元年(1319年 鎌倉時代)に美濃国守護土岐頼貞の孫、土岐明智頼重が妻木城築城後に創建したといわれています。
そして、関ヶ原の合戦(1600年)の後、7.500石の旗本になった妻木家頼は、社領として49石を寄進し、流鏑馬神事を始め、社殿を造営するなどして、ほぼ現在の神社の規模になりました。しかし、万治元年(1658年)妻木頼次(家頼の孫)の急死により、妻木氏は断絶し妻木城は廃城になりました。以降、妻木村は、分家妻木氏二家(江戸在住、上郷妻木氏、下郷妻木氏)に統治される事になり、八幡神社は妻木氏の氏神から、村民の産土神として崇敬を集め、神社の修理造営は村民達の手で行われるようになりました。
江戸時代までは、境内に神宮寺として円光山大鏡寺八幡院がありました。明治維新の神仏分離令により、八幡院は廃寺になり、建物や仏像は他へ移されました。また、社領49万石は没収され、流鏑馬は明治3年を最後に廃絶し、10年後に復興されました。
その後、郷社、県社として近隣町村の崇敬を集めました。昭和20年の敗戦とともに、宗教法人八幡神社として再発足し現在に至ります。